野中広務(のなかひろむ)
氏名 | 野中広務(のなかひろむ) |
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ジャンル | 国内政治 |
現職 | 元衆議院議員、元自由民主党幹事長、全国水土里ネット(全国土地改良事業団体連合会)会長、京都府土地改良事業団体連合会 会長、京都府内水面漁業協同組合連合会 会長、京都府身体障害者団体連合会 会長、重度身体障害者療護・授産施設 社会福祉法人 「京都太陽の園」理事長、立命館大学 客員教授、命館大学 客員教授 |
経歴 | 1925年京都府生まれ。旧制・京都府立園部中学校卒。 1951年より園部町議会議員(3期)、同町長(2期)、京都府議会議員(3期)、京都府副知事を経て、 1983年衆議院議員に初当選する。 その後、建設政務次官、衆議院逓信委員長、自由民主党総務局長、衆議院建設委員長を歴任。 1994年自治大臣・国家公安委員長に就任する。 1995年より自由民主党幹事長代理を務め、1998年国務大臣・内閣官房長官に就任する(沖縄開発庁長官兼務)。 2000年自由民主党幹事長、2001年同党総務を務め、2003年10月10日衆議院解散をもって、政界を勇退。 現在は、自由民主党京都府支部連合会常任顧問のほか、(社)日本中国友好協会名誉顧問、水土里ネット(全国土地改良事業団体連合会)会長、京都府身体障害者団体連合会会長、京野菜を育てる会会長、社会福祉法人「京都太陽の園」の理事長など多数役員を務めている。 1925年10月20日 京都府船井郡園部町 生まれ 1943年3月 旧制・京都府立園部中学校 卒業 1951年4月 園部町議会議員 当選(当選3回、正・副議長等歴任) 1958年11月 園部町長 当選(当選2回、府町村会長・近畿府県町村会長・全国町村会副会長等歴任) 1967年4月 京都府議会議員 当選(当選3回) 1978年10月 京都府副知事 就任(1982年10月 任期満了 退任) 1983年8月 衆議院議員 当選(1回目) 1983年12月 衆議院議員 当選(2回目、衆院逓信委員会理事 等歴任) 1986年7月 衆議院議員 当選(3回目、衆院建設委員会理事・党地方局長、党国会対策副委員長 等歴任) 1988年12月 建設政務次官 就任(1989年6月退任) 1990年2月 衆議院議員 当選(4回目、党通信部会長 等歴任) 1991年1月 衆議院逓信委員長 就任(1991年11月 退任) 1991年11月 自由民主党総務局長 就任(1992年12月 退任) 1993年1月 衆議院建設委員長 就任(1993年6月 退任) 1993年7月 衆議院議員 当選(5回目、衆議院予算委員会理事 等歴任) 1994年6月30日 自治大臣・国家公安委員長 就任(1995年8月 退任) 1995年9月25日 自由民主党 幹事長代理 就任(1998年7月 退任) 1996年10月 衆議院議員 当選(6回目) 1997年4月 衆議院日米安保土地使用等特別委員長 就任(同年6月 退任) 1997年11月 自由民主党京都府支部連合会会長 就任(1998年7月 退任) 1998年7月30日 国務大臣・内閣官房長官 就任(1999年10月 退任) 1999年1月14日 沖縄開発庁長官 就任<兼任>(1999年10月 退任) 1999年10月 自由民主党幹事長代理 就任(2000年4月 退任) 2000年4月 自由民主党幹事長 就任(2000年12月5日 退任) 2000年6月 衆議院議員 当選(7回目) 2000年12月 自由民主党行政改革推進本部長(2001年4月 退任) 2000年12月 自由民主党京都府支部連合会会長代行(2001年4月 退任) 2001年4月 自由民主党 総務 2001年6月 党沖縄振興委員長 就任(2003年1月 退任) 2002年2月 党男女共同参画推進協議会会長、地方制度調査会委員 2003年1月 党公務員制度改革特別委員長 2003年4月 全国土地改良事業団体連合会会長 就任 2003年10月10日 衆議院解散をもって、52年にわたる政治家生活に終止符をうつ。 |
講演テーマ | 今、日本を憂う |
拝聴した感想 | |
著書 | 『老兵は死なず 野中広務全回顧録』(文藝春秋) |
メディア | |
講演料金の目安 | 50万円~100万円 ※講演料金はおおよその目安となりますので、詳細は直接お問い合わせください。 |
カテゴリー: 国内政治