林英哲(はやしえいてつ)
氏名 | 林 英哲(はやし えいてつ) |
---|---|
ジャンル | 芸術・文化 音楽 歴史・文化論 |
現職 | 太鼓奏者 |
経歴 | 広島県出身。 1971年佐渡に職人学校を設立するとの主旨の元、独特の集団生活とマラソン訓練を特徴とし、演奏集団として独自の音楽スタイルを構築していった「佐渡・鬼太鼓座(さど・おんでこざ)」の結成に参加。その中で、林英哲は、その音楽的創造の中核を担い、主なレパートリー曲を作曲、編曲し、いままでにない個性的な組太鼓の演奏スタイルやステージングを創造した。また、ステージ・パフォーマンスにおいてもトップ・プレイヤーとして活躍、高い評価を得る。 グループは1975年以後、太鼓を中心とした音楽で、世界各地を公演。小澤征爾・ボストン・シンフォニーとの共演など数多くの公演や世界ツアーを行い、絶賛を浴びた。日本での凱旋公演は大反響を呼び、現在まで続く太鼓ブームの先駆けとなった。 10年目の1981年春、音楽表現の可能性を切り開くため、「佐渡・鬼太鼓座」を離れて新たな太鼓演奏グループを創出、林英哲の命名により「鼓童(こどう)」とする。創成期の演出も担当するが、翌年、集団パフォーマンスとしての様式にとらわれない、真に創造的で芸術的な太鼓音楽を志して「鼓童」を退団、日本で初めての太鼓独奏者として活動を開始。 1984年2月オーケストラ曲「交響的変容」(水野修孝作曲)で、太鼓ソリストとして初めてカーネギー・ホールにデビュー。以後、太鼓において、かつての日本の伝統にはないテクニックと体力を要する大太鼓のソロ奏法の創造、多種多様な太鼓群を用いた独自奏法の創作など、まったく新しい様式を伴った音楽的な試みをつぎつぎと行い、パイオニアとして多彩なコンサート活動を国の内外で展開。海外でもヨーロッパ、アメリカはもとより、南米、アフリカ、オーストラリア、東南アジアなど世界各地の公演で好評を博している。また、ジャズ、ロック、各国の民俗音楽との共演や、ダンス、舞踏、アート・パフオーマンスとのコラボレーションなど、ジャンルを超えた世界のアーティストとも意欲的に交流。世界に向けて日本から発信する新しい音楽としての太鼓の創造に取り組んでいる。 84年以降、多数の国際博でのジャパンディ参加、ユニセフ主催コンサートへの参加、日本文化を紹介する「クロースアップ・オブ・ジャパン」への参加、国際交流基金派遣によるアフリカ、南米ツアー(ジャズの山下洋輔氏と)等様々な形でコンテンポラリーと伝統が融合した新しい日本の音楽(日本発のワールドミュージック)としての和太鼓を紹介してきた。また、91年アメリカツアー(ボストン及びニューヨーク・リンカーンセンター)は絶賛を博し、さらに、93年以降「和太鼓協奏曲『飛天遊』(作曲:松下功)」でベルリンフィルの選抜メンバーで構成されるシャルーン・アンサンブルとの定期的な共演や95年「プラハの春国際音楽祭」、「ベルリンフィル・ヴァルトビューネ・サマーコンサート2000」の出演や各国オーケストラとの共演など、現代音楽の分野でも前例のない和太鼓ソリストとして国際的に高い評価を得ている。97年より、韓国、中国などアジアのミュージシャンとのコラボレーションや「英哲風雲の会(英哲自身が全国の若手太鼓打ちより選抜して結成したグループ)」との共演、津軽三味線、尺八、「英哲風雲の会」の若手太鼓打ちをメンバーとする英哲グループによる全国コンサートツアーを毎年展開。またライフワークであるソロコンサートも「ワールド・ソロコンサートシリーズ」として、世界の音場環境の素晴らしいコンサートホールを舞台に実施している。 近年では国内各地のイベント等でプロデューサーとしての仕事や映画、演劇、CM、創作太鼓のための委嘱作品などの作曲、指導も多数。エッセイ等の執筆も多く、著書に「あしたの太鼓打ちへ」などがある。 こうしたこれまでの多彩な演奏・創作活動が評価され、97年には第47回芸術選奨文部大臣賞、2001年春には第8回日本文化藝術振興賞を受賞。また国立三重大学(00年~04年)などの客員教授を経て、04年4月より洗足学園音楽大学の客員教授に就任。 |
講演テーマ | 「あしたの太鼓打ちへ」 ・演奏 |
拝聴した感想 | |
著書 | |
メディア | |
講演料金の目安 | 50万円~100万円 ※講演料金はおおよその目安となりますので、詳細は直接お問い合わせください。 |
カテゴリー: 音楽